見所・行き所
新渡戸記念ガーデン
 ( The Nitobe Memorial Garden  )


  UBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)の北端に日本庭園があります。この庭園は、5千円札の肖像画になっている新渡戸稲造(にとべいなぞう)博士を記念して造られたものです。

  園内には、鯉が泳ぐ、静かに水が落ちる、それに、茶室も設けられています。

  また、季節によって、もみじ、桜、つつじ、あやめなどの花や木が閑静なたたずまいに色を添えます。

  ここに来ると、まるで日本にいるような錯覚を覚えます。

  UBCの学生たちも散策や瞑想に訪れますし、庭園の絵を描いている学生も見かけます。


* 新渡戸稲造について

  1862年、岩手県の盛岡に生まれました。
  15歳で札幌農学校に入り、のちに農学士となりました。
  札幌農学校は、「少年よ、大志を抱け!」の言葉で有名なクラーク博士が教鞭をとった学校です。
  さらに学問を深めたくて東京大学に入学しましたが、それでも満足せず、とうとうアメリカ留学を決意しました。
  この留学中に、メリー・エルキントンという女性と交際するようになり、後に結婚しました。
  そして、アメリカから、さらにドイツでの留学を終えた稲造は、帰国後、札幌農学校の教授になりました。
  このときの生徒に、小説家の有島武郎がいます。
  過労で療養が必要になった稲造は、再び渡米しました。そして、「武士道」という本を英文で出版しました。
  日本の伝統的な思想を伝えたこの本は、ヨーロッパでも出版され、「イナゾウ・二トベ」の名は国際的にも知られるようになっていきました。
  その後、第一高等学校、初代東京女子大学長を経て、1919年には国際連盟事務局次長となり、国連の創立準備にあたりました。
  1933年、カナダで開かれた、「太平洋問題調査会」の国際会議にも出席し、当時、満州事変などで国際的に苦しい立場にあった日本を理解してもらおうと努力しました。
  そして、その滞在途中、ビクトリアで他界しました。

  新渡戸稲造博士は教育者、学者、政治評論家として世界的に知られています。

  博士の故郷である盛岡市とビクトリア市は姉妹都市になっています。
 庭園の入り口


博士の意思を刻んだ石碑

















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