= カナダのヒーロー  テリー・フォックス =

  毎年9月の中頃、カナダ各地で「テリー・フォックス・ラン」というマラソンが行われる。今年で25周年だ。マラソンといっても42.195kmを走るのではなく、距離は開催する場所により異なる。バンクーバーのスタンレーパークでは3km10kmの距離で行われた。走る人もいれば歩く人もいる。また、自転車やローラーブレードで参加する人もいる。まったく自由だ。

  この「テリー・フォックス・ラン」というのは、骨肉腫で片足を無くしたテリー・フォックスという若者が、癌(ガン)と戦いながらカナダを横断しようと走り始めたことに由来する。今や世界各地でもこのようなマラソンが行われ、多額の募金が集まっている。それらのお金はガン研究のために使われている。

Terry Fox

  テリー・フォックスは1958年、マニトバ州のウィニペグで生まれた。7歳のとき、バンクーバー近郊のポート・コキットラムに引っ越した。その後、ハイスクールではバスケットの選手として活躍した。運動神経もよく、負けん気も強かったらしい。

  18歳のとき、急に右足に激痛が走った。病院で調べてもらうと骨肉腫だった。体の他の部分に癌が転移しないように、ひざの上の部分から切断することを余儀なくされた。

  手術をする前日、高校のときのバスケットボールコーチが持ってきてくれたマガジンを読んだ。その中に片足でニューヨークマラソンに参加した人の話が載っていた。感化されたテリーは自分のほかにも癌で苦しんでいる人たちのためにもファンドレイズ(募金)をしようと、走ってカナダを横断することを決心した。

  カナダ横断という彼のマラソンは、大西洋に面したニューファンドランドのセントジョーンズ(St. John’s)で義足を海に浸してから始まった。警察官が先導し、8足の靴、3つの義足とそのパーツを積んだバンが伴走した。走り始めていろいろな困難が待ち受けていた。4月とはいえカナダ東部はまだ寒い。スノーストーム(吹雪)にも襲われた。毎朝、4時に起きて走り始め、夕方5時まで走る。足の裏には豆が出来ては壊れ、疲労も次第に蓄積していく。

  オンタリオ州のWawaという町にはMontreal River Hillという心臓破りの丘がある。ここを走破しなくてはならない。彼は、「Montreal Riverよ!我ここにあり!」とチャレンジを表すTシャツを身に着け、走り登った。そのTシャツの背中には、「I’ve Got You Beat」(おまえをやっつけたぞ)と書いてあった。

  Thunder Bayに来たとき、足の癌が肺にも転移したことがわかった。簡易ベッドに横たわり、レポーターたちに、自分はもうこれ以上走れないことを告げた。目には悔し涙があふれていた。テリーが断念しなくてはならなくなったことにカナダ全土がショックを受けた。結局、143日間で5373km走った。

  テリーが再び病床に就いてから 、いろいろな人たちがテリーのやり残したカナダ横断を受け継いで完遂させたいと申し出があった。しかし、彼は断った。理由は、再び癌を克服して、自分の足で走りきりたかったからだった。

  しかし、その夢も潰えた。1981年6月28日4時35分、バンクーバーのニューウェストミンスターにあるロイヤル・コロンビアン病院で息を引き取った。23歳になる1ヶ月前だった。

  彼は死ぬ直前、人々にこういうふうに思って欲しくて次の言葉を残した。

  「テリーがどんなに一生懸命やったとしても癌には結局勝てなかったじゃないか、といって癌を恐れることより、彼は本当によく頑張ったよ。癌で亡くなったけれど、我々も癌をやっつけるために懸命に戦うんだ、今まで以上に!」

  テリーの掲げた「Marathon of Hope」は癌撲滅のための研究費を集めることが目的だった。今や世界中で数百億円の募金が集まっている。そのお金を使った研究により癌の研究が急速に進んでいる。


エピソード

  母親のBettyにカナダ横断を打ち明けたとき、彼女は「走るのはBC州だけでいいんじゃないの」と言われた。するとテリーは、「癌患者はBC州の人たちだけじゃないよ、母さん」と言った。

  テリーの願いはカナダ国民一人ひとりから$1の募金を集めることだった。1981年2月、募金は24.17ドルになった。その当時のカナダ人口は2400万人。ちょうど国民一人ひとりが1ドルを募金したことになる。

Terry Fox Runで走る先生と子供たち
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